高等部卒業生代表 答辞2

【高等部卒業生代表 答辞2】

 自分はいったい誰なのか。僕はアメリカで生まれて、アメリカで十七年間を過ごした。他人に「君は、何人か」と聞かれた時は、戸惑いもなく僕はアメリカ人と答える。しかし、僕のもう半分は日本人だ。
 さて、思い起こせば、一九九五年の四月、口数の少ない金髪のおかっぱ少年がW校へ入学した。プラスチックの桜の花びらの間を泣きながら通り、「入学おめでとうございます」と書いてある巨大な看板の前を通った。そして、人生の一つの大冒険が始まった。振り返ってみれば、それから長い時間が経って、もちろん、僕も変わって、もう泣かなくなった。 さて、数週間前に、クラスメートに、「補習校もあと少しで終わるね」と言われた。その時僕は、戸惑いもなく「やったぜ」という一言で応答した。そして、それは、僕が本当に思っていたことだったのだ。しかし、この「終了」という言葉がこれほど僕にポジティブな気持ちを抱かせるなら、僕はなぜこの補習校に通ってきたのだろうか。もちろん、親に行けと言われたというのも理由の一部だが、僕自身で補習校に通うことを動機づけたはるかに大きな理由があったはずだ。 本当に一生懸命考えてみれば、我々は、なんのために生きているのだろうか。有名な画家のポール・ゴーギャンは、「我々は誰なのか、我々はこれからどこへ行くのか」という題名で絵を描いている。これは、人生に対する一番大事な質問の全てに触れている。もし この世の中が僕の思い通りに行くのなら 僕は、この質問を自分に投げかけなかったかもしれない。この質問の答えを自分一人で探るのは、言うまでもなく大変なことだ。しかし、人生というのはこういう問いに答えていくものだと僕は気付いた。
 アイデンティティーというのは、個人個人にあるものだ。ハーフの僕は小さい頃、日本へ行けば、日本人として認められたくて、日本人らしく振る舞い、アメリカでは、アメリカ人として溶け込みたくて、アメリカ人らしく振る舞った。このようにして僕は、アイデンティティーを使い分けてきた。そして今思う。本当に僕は、いったいどこから来たのかと。しかし、僕は今、気付いている。一番大切なのは、アメリカ人とか日本人とか何人ということではなく、「僕はだれなのか」が大切で、僕は僕であるということが大切だ、と。
 何だかはっきりと言葉には表せないが、日本語には、ある落ち着きと純粋さがあると僕は思う。僕は知っている限りの英語、フランス語、スペイン語などでは表現できないことが日本語では表現できる。英語には、適切な言葉がなく、日本語で表してから、初めて意味が通じたという経験が僕には数々ある。これは、僕の頭の中で、日本語と英語という二つの言語がごちゃ混ぜになっているが、それでもお互い補っているという証拠だ。
 この補いを感じることが出来るのは、補習校に通って日本語を勉強したおかげだ。僕のアイデンティティーは、色々な形に化けて僕に見せてくれる。時には、自分でもこれに気付かないことがある。補習校に通いながら、僕は自分が「どんな人間なのか」ということを考え出した。よく、「あー、あの人と人生が入れ替わったら最高なのになあ」と言う人もいるが、僕はそのように思わない。自分のアイデンティティーは、自分で大切にしなければいけない。体型や皮膚の色や髪の毛の色や性格などは、十人十色である。その違いをお互いに認めることによって人間は成長すると僕は思う。
 アイデンティティーは、他人と自分とのかかわりにおいて、いつも変わらずに、自分は同一人物だということを、僕は十二年間、補習校に通って理解した。僕は、僕のアイデンティティーに誇りを持ってこれから大学へ行き、生きていくと思う。どんな環境においても、僕は僕らしく生きていく。そして、あなたはあなたらしく生きていって欲しい。
 中一の頃、三十人以上いたクラスメートは今はたった五人に減ってしまった。最後まで一緒にがんばってきて、今日、共に卒業する高二のA、N、M、Mo、そして高一のみんな、本当にありがとう。そしてお世話になった多くの先生方、学校を支えてくれた父母会のみなさんには心から感謝します。最後に僕を十二年間、補習校に通わせてくれた両親にも感謝します。

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