【中等部卒業生代表 答辞2】
「いったい何これ。何やってんの、よく考えなさい。」
これは母が僕の答辞の下書きを読んだ最初の反応でした。今思い出せば、この補習校に通った年月、毎週がこの「何これ」で始まり、泣き笑い、叱咤激励、その連続だったように思います。実際にこの答辞を書き始めるまで、正直僕は、補習校に通う意味、経験したことを真剣に考える事はほとんどありませんでした。そしてこの「何やってんの」で改めて、僕の歩んだ補習校生活を振り返り、色々な想いが沢山あったことに気がつきました。
両親が毎日家庭内で日本語を使っていたおかげで、僕が日本語を学ぶことはそんなに大変ではありませんでした。僕は外国で生まれ、日本に住んだことはありません。でも僕は日本人であることは変わりありません。毎日アメリカ文化と接してるのにアメリカ人ではない。反面、日本人でありながらもあまり日本人の文化と接していません。僕は、自分自身、中途半端だと思うときが度々あります。
こんな僕にとってこの補習校とは、日本とのつながりを唯一認識できる貴重な場所だったと思います。なぜなら補習校は、球技大会、七夕祭、蚤の市、百人一首大会、それに書き初め大会など日本の文化と触れ合う機会を僕達に与えてくれるからだと思います。思い返せばどの行事も本当に貴重な経験だったと思います。
行事といえば、その中でも一番思い出に残ったのは「蚤の市」でした。
「蚤の市」とは、世界の貧しい子どもや人達のためにお金を寄付するためにA校の各クラスが店を開き、売上金を寄付金として集める行事です。クラスの仲間との信頼関係を築くと同時に他の人達をほんの少しですが、幸せに出来るA校の伝統行事です。
「蚤の市」の準備は大変で時間もかなりかかり、我がクラスは何度も先生方や高等部の先輩に叱られる始末でした。でも行事が終わり、「やった」という充実した皆の笑顔を見て、「大変だったけれどやって良かった」という喜びを皆と一緒に感じることができましたし、また、チームワークの大切さ、仲間に頼る大切さも学んだと思います。
このような体験は、補習校だから出来る事だと思います。学力を伸ばす事を目的とした塾では経験できない事だと思います。そんな意味でも、A校での中学生生活は充実していました。
しかし、日本文化や、日本人らしさを体験できる良い所とはいえ、補習校は学校には変わりありません。しかも休日の土曜日にあるので一生懸命、週五日間、現地校で奮闘し、やっと休みかと思うまもなく、金曜日の夜に補習校の宿題、翌日には登校。やはり正直に言って辛かったです。今振り返ると、「続けられない。もうだめだ。」と思った時期も少なからずありましたが、よくここまで頑張ってきたものだなと思います。
これは「いったい何これ」のお陰でしょうか。
今まで幼児部から中等部卒業まで何とか通った結果、最後の今になってようやく日本語の、そして日本の文化の大切さが分かりはじめたような気がします。外国に住んでいても日本人である事を忘れず日本語の学習をたゆまず続ける、そして今自分は、少しずつでも日本の文化を学び、日本語での知識を身につけたいと思いました。
僕は今、A校中等部三年生代表ととして、この壇上に立っています。今日のこの式をもってこの二十二名は、二〇〇七年度A校卒業生として名簿に記されます。三年前の四月、新中学一年生として担任の先生と一緒に始業式会場の通路を歩いた事を昨日のように今でも覚えています。この先、高等部へ進学する人、日本へ帰国する人、また、現地校での活動により専念する人。今日のこの日を境に皆それぞれが自分の決めた道を歩んで行きますが、共に中等部を卒業出来る事は素晴らしい事と思います。
A校で一番手のかかるクラスと言われた僕達を最後まで諦めず辛抱強くご指導くださった先生方、今まで本当にありがとうございました。
又、裏で支えてくれ、いつもお世話になりました父母会のお母さん、お父さん方ありがとうございました。A校を卒業しても僕達は、この感謝の気持ちと思い出を忘れず、しっかりと歩んでいきます。未来へ。