中等部卒業生代表 答辞1

【中等部卒業生代表 答辞1】

 本日、私達の卒業式のために、校長先生、ご来賓の方々をはじめ、父母会、教育審議会、日本国総領事館など、多くの皆様がご列席くださいましてありがとうございます。私達は皆、このNY補習授業校に対し、様々な思いを持って、今日という日を迎えました。
 私がアメリカに引っ越したのは八年前、七歳の夏の頃でした。アルファベットなどもまったくわからず、上手く人と接する事が出来ませんでした。家に近所の人達が集まってアメリカンジョークを言い合っているのを聞いても、何が面白いのかまったく分からず、悔しくて部屋で泣く、つらい毎日を過ごしていたのを、今でもはっきり覚えています。もちろんその頃は日本語を話すほうが楽だったので、「LI校に通う」と親から聞いたときは、日本人の中に入れることが何よりも嬉しく、とても楽しみでした。現地校では、英語もまったく話せず、皆に「違う人種だから変なんだ」という目で見られている気がして、私は本当にいやでした。ですから、現地校のみんなと友達になるには、日本人の私を捨てて、私も他のみんなと同じだということを証明しようと思っていました。そんなことをして、現地校の皆や、自分に素直になっていなかったことが何よりも辛かったのです。なので、毎週土曜日に補習校に行って、日本人の友達と会えた時は、何も隠さず、素の自分でいられることが何よりも嬉しかったのです。私は現地校で本当の自分を隠すことに必死で、こんなことをしている自分がバカに見えてきたとき、私を支えてくれて、慰めてくれて、心細かった私を心強くしてくれたのは、いつも補習校の友達でした。私はそのとき、「やっぱり素の自分を好きになってくれる補習校の友達が大好きだ。」と思ったのです。一週間に一回しか会わないけれど、知らないうちに、補習校の友達皆は、私にとってかけがえのない宝物になっていたのです。
 補習校は私にとって、友達を作るだけの場所ではありませんでした。その頃は、まだ英語が十分理解できていなくて、現地校の授業について行くのが精一杯でした。でも、そういう時は、補習校でも算数を日本語で習っていたので、現地校の授業についていくのが楽になりました。また、私は補習校に入って、色々な先生に出会ってきました。面白い先生、静かな先生、ちょっと変な先生も。ですが、なんだかんだ言ってみんな私に優しくしてくれて、いい先生ばかりでした。その中でも一番中三のクラス皆の心を動かしてくれたのはS先生でした。中二で担任になったS先生は中三でもう一度私達の担任の先生になりました。私だけではなく、クラスの皆にとっても、二年間も一緒にいると、いつの間にか、S先生が私たちの担任の生生であるということが当たり前のように感じました。S先生も、いつの間にか補習校の皆には、私達のことを、「私の生徒」、ではなく「私の子どもたち」と呼ぶようになり、中三のクラスが始めて、私のもう一つの家族のように思えたのです。
 中等部に進学すると決めたとき、正直不安で不安で仕方がありませんでした。英語にはすっかり慣れ、もう問題なく授業について行くことができましたし、中等部の勉強が大変になるというのを色々な人から聞いていたからでした。でも、今はその不安が嘘のように思えるのです。もちろん授業も難しくなったし、みんなについていくのも大変でしたが、今思うと、中等部に進学した事にまったく後悔などしていません。
 中学に入ってからは、色々な体験をしました。次々と、大切な友達とお別れをすることになったり、逆に、新しい友達に出会ったり。補習校という学校に通うだけではなく、どうにか学校や他の生徒達の役にも立ちたくて、中三に入ってからは、初めて生徒会の一員になることも出来ました。
 私は昔から、何かを始めたら最後までやりきるのが苦手な性格です。でも、補習校も後二年。クラスメイトは、中学に進学するときと比べて少ないですが、あと二年間一緒に高等部に進む友達と頑張って、補習校を卒業するというゴールまで走って行きたいと、友達、先生、そして両親のおかげでそう思えるようになりました。在校生の皆さんも、卒業をするまで補習校を続けるということは、とても大変なことだと思いますが、そのゴールまで頑張ってみてはどうでしょうか。今では、今日まで私を励まして、支えてくれて、いつもそばにいてくれた友達、先生、そして今まで補習校に通わせてくれた両親へのありがとうの気持ちでいっぱいです。中三の皆、こんな私の友達でいてくれて本当にありがとう。そしてこれからも一緒にかんばって行きましょう。みんな、本当に卒業おめでとう!

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