
平成16(2005)年度卒業証書授与式
平成17年3月13日(日)午前10時15分から、ニューヨーク補習授業校の第6回卒業証書授与式が、ニューロッシェルのアルベルト・レオナルド・ミドルスクールで行われました。
当日は、卒業生の前途を祝福するかのように青空が澄み渡り、厳粛な雰囲気の中、在ニューヨーク総領事館の安藤大使をはじめとする多くの来賓の方をお迎えして盛大に行われました。
卒業生の皆さんは、緊張した中にも晴れやかで自信に満ちた表情で式に臨み、一人ひとり藤平校長より証書を受け取りました。
ここに紹介する「送辞」「答辞」には、代表者の児童・生徒だけでなく、補習授業校に学ぶすべての子どもたちの、これまでに経験してきた様々な体験や苦労が凝縮されています。
楽しかったこと、苦しかったこと、そして悲しかったことなど、列席したすべての人が、その一言一言に共感し、会場は感動に包み込まれました。
今回の補習校だよりを通して、補習授業校の教育の原点と魅力をあらためて考えるきっかけとしていただければ幸いです。
送辞
在校生代表 A校中等部2年1組 三川 潤
A校、WT校、LI校の卒業生の皆様、本日はご卒業おめでとうございます。在校生一同、心からお祝い申し上げます。
僕は二年前初等部を卒業し、A校に入学しましたが、僕自身、一番多く変わったことは先輩たちとの関係です。初等部時代は、ただ「身体の大きい人たち」ということだけでほとんど交流はありませんでしたが、A校では、「やさしく頼れる人たち」という実感をもてるようになりました。
例えば、忘れもしない中等部一年の百人一首大会の時のことです。百人一首は、僕にとって全く未知の遊びでした。
「さびしさに・・・。」と言われ、「さ、さ、さ、・・・。」と必死で探していた僕の隣で、「あった、いづこも同じ秋の夕暮れ。」と下の句まで答えて、さっととった先輩がいました。まだ当時は、上の句と下の句の違いさえ知らなかった僕にとって、空を飛ぶより難しい百人一首を、この時先輩が、初めて辛抱強く上の句と下の句について、僕たち1年生に説明してくれたのです。通知表ではいつも、説明が下手なことを指摘されている僕は、この先輩は何て説明がうまいんだろうと、深く感心してしまったことを覚えています。これが、先輩たちへの大きな憧れの第一歩でした。
その後も僕は、球技大会などでよくドジをふみました。しかし、そのたびに先輩は僕を責めないで、よく励ましてくださいました。そして、負けても笑い、勝っても笑い、プライドを大切にされ、めったなことでは怒らず、後輩たちのよき指導者であった先輩を本当に尊敬し、同時に僕の心の中では、人間としての「目標」にさえなってきました。
こんなにすごい人たちの後を継ぐなんて難しいですが、見習い頑張りたいと思います。卒業される中等部三年生、そして高等部の皆さん、高等部に進む人、大学に行く人、帰国する人、他にもいっぱいあると思いますが、僕たちは先輩なら、何でもやり遂げられると信じています。どうぞ未来に果敢に挑戦なさって下さい。そして、これからの補習校のことはご心配なく。先輩方のまいた、思いやりと寛大の種は伝統として、花をさかせ、実を結び、あとから続く者の心の中に根づき続けることでしょう。
僕たちは、この春、初等部からかわいい後輩を迎えます。彼らと共に、さらに楽しく充実した補習校を築いていくことを誓います。
本日はご卒業、心よりおめでとうございます。
答辞(T)
LI校初等部6年 加納 あゆみ
私の補習校での小学校生活は、もうすぐ終わります。この春、私は中等部へ進学します。これまでの6年間を振り返ってみると、数え切れないほどの、いろいろな事を身につけて来たように思います。1週間にたった4時間しかない授業なのに、補習校で得たものはアメリカで生まれ、育ってきた私の中に大きな部分を占めています。
これは、昨年の夏、大阪の母の実家に里帰りをした時のことです。英会話教室に通っている叔父がクラスのバーベキューパーティーに招待してくれました。クラスメートは、英語と日本語を話す私に興味しんしんです。たちまち私は、質問攻めに会いました。
「日本とアメリカの違いは何。」
「アールとエルの発音はどうやるの。」
これらの質問に私は、今までに習ってきたことや、知っていることを思い出しながら、日本で一生懸命答えました。大人の人たちが12才の私の説明をまじめな顔で熱心に聞いてくれます。私はとてもうれしくなりました。日本語の勉強を続けてきて良かったと思いました。
私はアメリカの現地校と補習校で、2つの言語、2つの文化を学んでいます。補習校では、ひらがな、カタカナ、漢字のほかに俳句や短歌、算数の考え方まで日本語で学んでいます。勉強だけではありません。もちつきや書初め、落語会、朗読会、運動会やラジオ体操などの日本の文化も、ここで経験してきました。生まれてから身につけてきたアメリカの文化と日本の文化を私の中で混ぜ合わせて、物事を見たり、感じたり、考えたりしています。だから、両方のことがよく分かるのです。これは、きっとすばらしいことだと思います。私は、両方のセンスを持っている自分を誇らしく感じました。そして、補習校に通って努力を続ける目的がわかったような気がしました。
もう1つ、補習校で得たものは友達です。私たちの学年は5年生からクラスが1つになったためか、とてもまとまっているように思います。たまにふざけたりはしますが、笑いの絶えない仲の良いクラスです。現地校の勉強が難しかったり、補習校の宿題が大変だったり、それぞれみんな悩みを抱えています。2つの文化をかかえこんでいるために、大変な思いをしています。同じ悩みを持つもの同士、言葉で言い表せない、いろいろな気持ちも分かり合えます。日本に帰ってしまった友達、1年生からの友達、みんなここに来なければ一生出会うことのなかった貴重な友達、宝物です。これからも一緒に中等部、高等部とたくさんの思い出を作って、大人になってもずっと励ましあえる仲間でいたいと思います。
最後に私たちを今まで支えてくださった両親や先生方、ありがとうございました。
答辞(U)
WT校初等部六年 ベック 玲門
とうとう今日という日がやってきました。小学校生活を終える、晴れの卒業式です。
僕が補習校に通い始めたのは、七年前の事です。アメリカで生まれた僕に、「日本語でコミュニケーションをとり、日本語の読み書きができるようになって欲しい。」という両親の願いから、W校の幼児部に入園しました。その頃は、ただ楽しいばかりで、何の疑問も抱かずに、僕は補習校に通っていました。新しい友達も沢山でき、補習校の放課後に、クラスメイトとプレイデートをしたりして、毎週楽しく補習校に通う日々が2年生まで続きました。
ところが3年生になると、突然補習校の宿題が増え、それに追い打ちをかける様に現地校での宿題が増えました。平日は現地校の宿題をこなすのに精一杯で、補習校の宿題をする余裕などありませんでした。その結果、毎週金曜日になると、やり残した補習校の宿題を夜中までかかって泣きながらやっていたのを今でも覚えています。
僕の通う現地校には、日本人が2、3人しかいなくて、この頃になると、
「どうして僕だけ土曜日も学校なの?何で僕だけこんなに沢山宿題があるの?」
と言っては、母を困らせました。
「今頑張れば、来年からはきっと楽になるから。」
と、何度も母に言われ、何とか3年生を終える事ができました。
翌年、4年生になると、前の年の苦労がうその様に、補習校も現地校の宿題も本当に楽になりました。この時になって初めて、
「去年あれだけ頑張って、本当に良かった。」
と思えるようになりました。
幼稚園の時から、毎年夏休み中に続けている体験入学で、今まで何の問題もなく続けてこられたのも、補習校で学んで来る事ができたおかげだと思っています。
勉強以外でも、書き初め、節分、七夕、運動会など、日本の伝統的な行事を体験する事ができました。5年生の時には、「6年生を送る会」で送辞を読む事となり、また、6年生になってからは、運動会で応援団長を任される事となりました。どちらも全校生徒の代表で、この二大イベントは、それらをどうやったらきちんと果たす事ができるのか、「責任感」という重みを実感することができた、とても大切な体験となりました。
「継続は力なり。いつでもやめるのは簡単。一つの事を続けるのがどれだけ大変で、大切な事か。」を教えてくれた両親。4月から僕はA校へ進学します。そしてクラスメイト達もそれぞれの道へと前進して行きます。今まで僕達が学んできた事、体験してきた事は、きっと僕達の将来に役立つに違いありません。今まで僕達を支えてくださった先生方、父母会の皆様、素晴らしい仲間達、そして家族に心より感謝致します。
答辞(V)
A校中等部3年 宮崎 百
補習校に通い始めたのは初等部の1年生の時からでした。その時に私は小さかったので、自分から行きたいとか行きたくないとか考えていたわけではなかったと思います。実際その時の気持ちをほとんど覚えていないのですが、なぜかW校に入った1年生の時のことははっきり覚えています。一番後ろの席に座って、隣にすわっていた男の子に足をけられながら、一生懸命に先生の話を聞こうとしていた自分を。私は補習校が好きだったらしく、その次の年もやめることなく今日まで続いています。
私にとってこの中等部最後の年、中三は微妙な年のように思います。A校では高二が一番上で中一が一番下の学年ですが、中等部、高等部と言っても同じ校舎ですし、日程や行事も一緒ですから中等部卒業と言っても実感がわかないのです。また8年生と12年生の終わりに卒業式がある現地校とも違って9年生または10年生の今、卒業と言われてもピンとこない感じです。
毎週の国語の授業では先生によく怒られました。「貴方達はもう義務教育を終えて卒業するのよ。来年からは自分の責任で勉強しなくてはいけない高校生になるのよ。補習校を続けるのならちゃんと勉強しなくちゃ。友達といつまでもお喋りしていないで、宿題を出して、ガムをかまないで、・・・」などなど。
私達は、「はい、はぁい。」とだらけた返事をしていたけれど、心ではそれは本当だと分かっていたのです。だって現地校では皆そろそろ大学の事も考え始めていてそれなりに目標を作って頑張っているのだから、補習校の事だって、同じようにできたはずなのです。義務教育の終わりなんて言われたけれど、卒業式は、私にとってスーツやスカートを着て日本人の友達とまた一日過ごせる日くらいで、この式が終わっても中等部卒業なんて意識に入っていないかもしれません。また、4月に高校生になって補習校に行っても意識はまだ中3のままだと思います。2005年になっても頭の中ではしばらくは2004年のままのように。
私は日本語もそんなに強くないし、今まで一生懸命学習してきたというわけではないのですが、ここで一つだけはっきり言える事があります。それは補習校で出会った人達が、私の人生を考える視点を変えてくれたという事です。補習校では、色々な経歴を持った人達と友達になったので、同じことについても色々な見方、色々な考え方があるということに触れる事ができました。アメリカ人が好きでも日本人は嫌いだと思うことがあることや、逆に日本人が好きでもアメリカ人はだいたい嫌いということもあります。現地校の生活だけだったら、アメリカ人の考え方が全てというようになってしまっていたかもしれません。補習校には日本から来た人だけでなく、イギリスなどもっと違う国で学校へ行っていた人もいます。色々な国の文化の違い、考え方に触れる事ができたことは学習以上に私の財産になっています。
また、私がここまで補習校を続けて来られたのは、補習校のオーラが良かったからだとも思います。毎日忙しく追いまくられる現地校の後で補習校に行くと、軽くてまろやかなオーラが私を包んでくれます。A校の三年生は一クラスになったので、人数も多く元気でにぎやかでよく怒られましたが、個性的な人が多く最高の思い出がたくさんできました。スポーツ命の友達、何回も引っ越しをした友達。そして、下級生や高校生にも球技大会や百人一首での一緒のチームになって仲良くなった人もたくさんいます。
先ほど卒業する実感がわかないと言いましたが、私達のこの答辞が読まれて、卒業式が終われば、やはり中等部だけでもう補習校には来ない人もいるわけですし、高等部に進級する人達も今までと同じというわけではありませんから、このような私を包んでくれたオーラとたくさんの思い出を胸に、やはり区切りをつけなければいけないのかも知れません。
もう戻ることのないA校中等部、最高の思い出を有難う。私達を支えてくれたお母さん、お父さん、そして色々私達をしかり、導いて下さった先生方有難うございました。
答辞(W)
LI校中等部3年 堀田 愛実
校長先生をはじめ、ご来賓の皆様、数々のお祝いのお言葉をいただき、ありがとうございました。LI校中等部3年生を代表して感謝申し上げます。
補習校では日本語を話す。クラスの半分以上は、英語の方が話しやすいかもしれない。でも、皆は一生懸命、自分の気持ちや言いたいことを日本語で話そうと努力している。だから私が現地校の友達に「JAPANESE SCHOOLに行っている」というと「なんで日本人なのに日本語学校に行っているの。」と聞かれる。そういう時はどうやって友達に説明していいのか分からなくなる。だから私は「JAPANESE SCHOOLは、日本語で数学、社会、理科など色々な科目を習うところ」だと説明するが、友達はなかなか分かってくれない。たしかになぜ私はJAPANESE SCHOOL、いや「補習校」に通い続けたのだろうか。
私は幼児部の時から補習校に通い始めた。その時私が通っていたのはQ校で、毎週土曜日、早起きして学校に行くのは辛かった。現地校の宿題だけではなく補習校の宿題を土曜日までにすませなければならない上に、補習校に行っていない友達とは違って、金曜日の夜は早寝をし、次の朝は早起きして学校に行かなければならなかった。土曜日に学校に行くのはめんどうくさかったし不公平だとは思ったけど、日本人だからしかたがないと自分に言い聞かせた。小学三年生が終わり、新学期になった時、Q校はグレート・ネックにあるG校と統合し、現在のLI校になった。一つの学校が統合したことにより、先生の数も、生徒の数も増えた。私達の学年も最初は2クラスあったが、6年生になったときに、一つの大きなクラスにまとまった。そのクラスは二25人ものクラスメイトがいたが、中学に進学した生徒は18人しかいなかった。しかも、中1から中3の間に日本に帰国したり、退学した人達がいたので、今現在は12名になってしまった。この12名のうち、高校に進学するのはたったの5名である。なぜ皆やめてしまうのだろうか。
去って行くクラスメイトのほとんどの人は10年とか、長い間補習校に通い続けていた。人それぞれの理由で補習校をやめるのだろう。私には行くか行かないかの選択があったが、色々悩み、最後には行くことにした。今やめたらもったいないと思ったからである。私は10年間通い続けてきたが、今は通い続けて良かったと思う。正直、土曜日に学校に行くのはめんどうくさいとは思うけど、勉強は決して楽しくはないけれど、友達と過ごせた時間が一番楽しいからだ。後2年間、補習校に通い、その時間を存分に楽しみたいと思う。2年間はとても短い時間だけど、だからこそ毎週の土曜日、友達と過ごせる時間を大切にしたい。
今年で最後の友達へ。なぜあと2年間、補習校に来ないで、退学してしまうのか私にはわからないけれど、長い間、お疲れ様でした。
高校に進学する友達へ。クラスメイトの数は少ないけれども、後2年間どうぞよろしくお願いします。
校長先生、教頭先生、LI校の先生方、そして父母会の皆様、ありがとうございました。そしてこれからの2年間もどうぞよろしくお願いいたします。
答辞(X)
A校高等部2年 大澤 理
僕は、今年で補習校生活12年目を迎えました。幼児部のころから通っていた補習校もこれで幕を閉じます。長いようで短かったと感じます。僕にとって補習校に行くのは、楽しみで土曜日のくるのがまちどおしく思いました。週に1回しか会えない友達に毎土曜日に会えるのは、勉強よりも何よりも重要で嬉しいことでした。
12年前の幼児部のころ、僕は緊張ばかりしていて、今日のように大勢の前に立って答辞を読むような度胸を持っていませんでした。あれから12年たった今、卒業にあたって言いたいことがいっぱいあります。
まず僕の日本語についてですが、僕はアメリカで生まれて日本の学校を知りません。僕が今行っている現地校は、日本人が誰一人いないので補習校だけが日本語を勉強する場所でした。補習校で、日本語の読み書きを学び、日本語の本を読むことができる様になりました。また、日本語の歌を聴いて理解し感動する様になり、英語では正確に表現できない日本人の心や感情を表す言葉や表現方法が日本語にはあるのを知りました。補習校という学校を知らなかったら今の僕はいません。
今の僕がいて僕には夢があります。それは、建築家になることです。普通の建築家になることではなく自分が設計し、作った物を残したいのです。エッフェル塔、ピザの斜塔、世界貿易センター、エンパイアステートビルのような素晴らしい建物を残したいと思います。僕が設計する建物には、僕が日本語を通して知った日本の文化等を結びつけたいです。
今の僕が建築家になる夢は、兄からクラスをとるように勧められ確かになりました。兄も補習校の卒業生で今は僕とは違う道を選びました。今の夢の前には、もっと色々な夢を想像していました。金持ちになったり、豪華に生活したり、有名なスポーツ選手になったり色々ありました。夢とは、欲の表れで手にとどきにくいものです。だが、夢をもっているからこそ生きる喜びと生きている実感を持てるのだと思います。
夢を実現させるには、目標にむかって努力する必要があります。どんなことがあってもくじけることなく努力することにより自分が磨かれていくと思うのです。そして、実現できる環境も大切です。周りの人間関係や相手の気持ちを理解することも大切にしなければなりません。また、テロで破壊されたり、戦争に巻き込まれると夢を実現させるのが難しくなってしまいます。僕はテロや戦争には強く反対します。だから気を付けて一歩一歩と踏み出したいです。
人生とは、毎日毎日努力を積み重ねることによって現実を変え、少しでも夢に近づくために闘うことだと感じます。また、人生とはゲームという人もいます。僕は僕の目標に向って自分というキャラクターを動かして進んでいきます。違った選択で人生も夢も変わります。補習校も一つの選択でした。補習校に通わなかったらどうなっていただろうかと僕は、この答辞を書くまで一度も考えたことがありませんでした。とにかく選んだことに答えを出すため勉強をしました。過ぎてしまった事は、後悔してもしかたありません。まだ人生は長いので可能性があると信じています。
補習校で会えた素晴らしい友達たちと素晴らしい先生方は全部僕の宝物です。これからも自分の夢と人生のために努力していきたいと思います。補習校は僕だけの思い出ではなく皆の思い出です。高等部のクラス皆の思いが詰まっています。
最後に十12年間僕を補習校に通わせてくれた両親、指導して下さった先生方、そして学校を支えて下さった父母会の方達に強く心より感謝します。高等部の皆、ありがとう。
答辞(Y)
LI校高等部2年 大島 由貴
今日、私達は卒業の日を迎えました。初等部から12年間通い続けた4名、中等部から編入の3名、総勢7名がロングアイランド校の卒業生です。補習校で過ごしてきた時間は違うけれど、私達は心を許しあえる仲間同士。でも、とうとう別れの時が来てしまいました。
中等部1年は20名でスタートしたのですが、学年が変わる度に減り、高等部へ進んだのはたったの7名になってしまいました。でも、その分仲間意識は強くなり、私達の絆は深まったように感じます。高等部になるとそれぞれが、現地校の課外活動やスポーツ競技への参加などで欠席する事も多くなり、全員がそろう事はほとんどありませんでした。でも、だからこそ、仲間がそろう時間がますます貴重な時間に思われ、それまでの空白を埋めるように、皆でおしゃべりに夢中になり、ふざけあいました。その楽しさを授業中にまでもちこみ、何度先生にしかられたことか・・・。今はそれも懐かしく思い出されます。高等部2年への進級を一度諦めた私ですが、もう一度戻る事を決意させたのもこの仲間達の存在でした。今、改めて友達のありがたさを感じています。
私がアメリカに来たのは中学1年の時。その当時、私の心からくつろげる唯一の場所が補習校でした。私の前には言葉の壁が厚く立ちはだかり、週日の現地校はただただ辛く、早く帰国したいとばかり考えていました。そんな私を補習校は温かく迎えてくれました。日本人ばかりの教室、自分の言いたい事が自分の言葉で自由に話せる環境、全てが分かる授業。そして、何よりたくさんの日本人の友達に会える事が一番の幸せでした。見知らぬ世界に一人放り出されたような孤独感を感じていた私が、補習校の友達によってどれだけ救われたことでしょう。土曜日が来るのが待ち遠しくて仕方がありませんでした。
クラスメートがどんどん減っていく中、私も高等部2年への進級を考える時ふと立ち止まってしまいました。女子が私1人になってしまうのも気がかりだし、毎週の土曜日の通学が少しずつ面倒になってきたのです。しかし、そんな思いをふみとどませてくれたのもやはり友人の存在でした。今ではあの時諦めないで本当に良かったと思います。心配していた女子が1人という事についても、クラスの誰もが私の事を女子だと思っていなかったお陰で、とても気楽で楽しい1年でした。卒業まで通い続けた達成感も味わえました。
最終学年ではちょっと力を抜いてしまったけれど、補習校での勉強も私なりに頑張って来ました。特に小論文の厳しい指導で学んだ事はたくさんあります。考える姿勢を身に付けられたように思います。クラス全体としては・・・特に高等部2年になってからは決して良いクラスとは言えなかったでしょう。先生方には本当に迷惑をかけました。おしゃべりはやめない、宿題はやってこない・・・。でもそんな私達を先生方は温かい目で、時にはやさしく時には厳しい見守って下さいました。最後まで見放さずに付き合って下った先生方、本当にありがとうございました。
そしてお父さんお母さん、毎週の送り迎えをありがとうございました。反抗する事もあったけれどお陰で今日までやってこられました。
この卒業式が終わったら私達は本当にお別れです。6月からはこのままアメリカに残る人、日本に帰ってしまう人、皆それぞれの道へ旅立ちます。私は皆と一緒に最後まで補習校生活を送れた事を本当に嬉しく思います。ここで学んだ事や一緒に過ごした人達は、私にとって一生の宝物となるでしょう。最後にもう一度、たくさん迷惑をかけた先生方、支えてくれた両親、そして楽しい時間をくれた友達に言いたいです。本当にありがとうございました